100日チャレンジの第5期がスタートしました
今日、jMatsuzakiさんとぞえさんほか、タスクシュート認定トレーナーの人を交え、キックオフが終わりました。
私は25分のレクチャータイムをもらっていたので
脱出ゲームとアリアドネの糸
のお話をしました。
ミノタウロスという怪物が潜む迷宮から脱するため、アリアドネが「糸」を使って「1度でも歩いたところに目印をつける」逸話はギリシア神話からです。
これを大橋悦夫さんがよく引用されます。彼の「一度でも通ったところの記録を残したい」気持ちをよく反映しているエピソードだからでしょう。
記憶に頼る「重複」というムダを避けたいのです。
一方で「人生にはムダな経験など何もない」という「訓話」もわりと有名です。
タスクシュートのような行動記録をベースにした生活改善ツールにもこのジレンマがあります。
記録を活用して「ムダ」をなくすべきでしょうか、そもそも「ムダ」などないのでしょうか?
これはユーザーがそもそもどういう気持ちで人生を生きているかによって定義が変わるのです。
たしかに人生にはムダなどありません。
しかし、ミノタウロスのようなヤツがウロウロしている「迷宮」でウロウロ歩き回るのはたとえ「ムダ」ではなくても、もっと長く生きていたければ避けるべきでしょう。
いまが人生の「脱出期」であるかそうではないのかによって「ムダ」の意味はまったくちがったモノになるのです。
危機が迫りそれからの脱出が急務なら省けるムダは省くべきです。
しかし危機でもない環境なのに、勝手に「危機意識」を煽ったあげく、脱しなくてもいい現状から「脱する準備」ばかりにアクセクするのはそれこそ「ムダ」です。現代の生活には意外とそういう「煽り」が多すぎます。
ムダを省いて現状を変更するのは「危機」が確かにあるケースに限るべきです。
そうでもないならもっとおだやかな気持ちで日々を過ごし、その愛でたいところを「スナップショット」するように記録を残しておけばいいでしょう。