2021年に向けて開き直って精神分析を読む
年末なので来年の目標といった話をするのは気が進みません。気が進まないので「目標」ではなく、いま決断したいことの話を書いておきます。
私はずっと昔から「フロイトと精神分析」というものに縁がありました。好きでやったわけではないのですが、気がつけば私は日本の大学時代、D・H・ロレンスというイギリスの作家を研究するゼミにいたのです。
『チャタレイ夫人の恋人』が日本では有名です。発禁になったから有名なんですが。
このロレンスゼミというところに居た関係上、「フロイト」は絶対にでてくるのです。そんなことまでのめり込んだ学生は、指導教官には申し訳ないけどほとんどいませんでしたが、私はそういう話が病的に好きだったため、先生から「フロイト全集」をいただいちゃいました。いや、買えなかったです、高すぎて。
その後留学したりしましたが、「精神分析」はけっきょくやっていませんし(教科書に出てきたけど)「フロイト」は私の脳内にずっとハエのようにブンブン巡っていただけで、実際にはぜんぜんそういう方面ではないつもりでおりました。
それが「グッドバイブス」以来急に、どう考えても「フロイト」を意識しないことができなくなってきて、それに合わせるようにして私の中の「タスクシュート」も、だんだん「精神分析的」な色合いが濃くなってしまったのです。理解に苦しむとも思うのですが、もう私の中では両者は、一体ではないけど不可分です。
いま一番興味を持っているのが「バリント」という人と「ウィニコット」という人です。バリントは例の「甘え」の西洋的概念を提唱した人で
「私はいつも、どこでも、あらゆる形で、私の全身体を、全存在を愛してほしい、それも一切の批評がましさなさに、私の側から僅かにでも無理する必要なしに」
というふうにして赤ちゃんは生まれてくるんですよ、と指摘した人です。しかも一生涯、こういう感覚が心の深いところで保持されるというのです。
バリントの言を信じるなら、他人に対して「グッドバイブス的」に接するのがいちばんよくいくだろうというように、思います。
ウィニコットの方は「移行現象」ということを言った人で、私にはどうもこれは意味がつかみきれないのですが、ここで言われていることが、とても「タスクシュートの有効成分」と近いと思ってしまうのです。
ウィニコットは「遊び」ということを、かなり独特の意味でですが、強調しています。
たとえば私などが本当に生き生きして「生きているなあ」と実感しているときは、不思議なくらい「現実に生きていると言えるんだろうか?」と思うようなときです。野球中継を見ているときとか、小説にはまり込んでいるときとかです。
つまりこういうのは動物には意味がまったくありません。ひたすら「字」を目で追っている私のことがわかるくらいアタマのいいネズミがいたら、ますます「変だ」と思うでしょう。その「字」に沿って目を上下に動かす眼球運動をすると気持ちいいのか?くらいに思うでしょう。
このような「非現実的活動」にはまり込んでいるときの、私たちの熱のいれようは、かなりのものです。私などは実はほとんどやったことがないので、パチスロにずっと向き合っている人を見るとさっきのネズミみたいな気持ちになります。つい「あれ見てて面白いのかな」と思ってしまうのです。
もしウィニコットが言うみたいに、野球を見る、パチスロにはまる、マンガに熱中する、ゲームに興じる、AV観賞に浸るといったことが「本当に生き生きと生きている」ことだとすれば、「生き生きと生きる」ことは「死に近づく危険」をともないます。
そしてこういったことは「タスクシュートに記録しづらい」という特徴があります。これを「移行現象」というのだと思うのです。移行現象は「人が現実に生きる」と言えるのか、むしろ「現実逃避」ではないのかと、ウィニコットは別のフロイト派から批判されています。非常に「タスクシュート的な分岐点」だと私はここについてよく考えるのです。
実際しばしば、「ゲームにはまらず、朝活と中国語の勉強時間を増やしたい」という、「お悩み」が寄せられます。精神分析的に言えばこの態度は「現実検討を高めたい」とか「現実適応度を高めたい」と言ったりすると思います。
しかし、やたらと現実検討が高すぎる人、という問題もあります。そういう人に言わせると、「野球なんてスコアだけ見ればいい」のだし、「パチスロは店が設けるシステム」だし、AVなんて光と音だけで、なにが面白いのかぜんぜんわかりません、ということになります。
そうした人は何かすごく賢そうで、お金もいっぱいもうけていたりしますが、はたから見ているとなにが面白くて生きているのかぜんぜんわかりません、という人だったりもするのです。
タスクシュートの開発者である大橋悦夫さんですら、映画鑑賞します。先の「現実検討が取っても高い人」に言わせれば、「映画なんてぜんぶ作り物じゃないか!」ということになります。現に私はそういうふうに言うお医者さんの知り合いを持っています。
移行現象にハマりすぎると、たしかに現実適応度が下がります。実はタスクシュートはこれに歯止めをかける力があって、これが時間術に直結するのです。しかし、現実検討だけが高すぎると、「タスクシュートはバッチリなんですが、なにもしている気がしない」といった話になってくるのです。
私はここら辺のことをずっとグッドバイブス的に解決できないか模索しているのですが、そのプロセスで「フロイト」がずっと追っかけてくるイメージなのです。