怒られても怖くなくなれば悩むことはなくなる
今朝配信したGMVですが、簡単に補足します。
私たちは、欲求とその対象を、区別できます。
ふかふかのパンケーキを目にして、思わずよだれを流しそうになる人があったとして、パンケーキは外側に、よだれを流す欲望は自分の内側にあります。
このような場合、対象と欲求を区別することに、私たちは決して困難は感じないでしょう。
しかし、上司にひどく罵倒された「記憶が残ってしまって夜も眠れない」となってしまうと、パンケーキと食欲と同じ関係にあることを、いともたやすく見失うのです。
パンケーキはよだれを「直接には作用できない」とわかります。
でも、上司は「自分の」恐怖感を「直接左右できる」と思ってしまうのです。
そんな事は決してありません。
上司は、自分の中の「正しくありたい欲」のようなものを、刺激したに過ぎません。パンケーキが食欲を刺激したのと同じことです。
「上司に怒られたことを忘れられない」と訴える人は、その記憶をどうにかする必要があると思う傾向がありますが、パンケーキのことを忘れずとも、食欲をコントロールできるように、上司のことを忘れなくても、「自分を正しくあらしめたい欲」をコントロールすれば、苦しみから解放されるのです。
早い話、おいしそう、といっているのは自分であるように、上司の記憶とイメージを使って自分を苦しめているのは、自分の一部なのです。上司と「自分を苦しめている力」は、区別すべきものです。上司は外。自分を苦しめている力は自分の中にあります。
上司に怒られさえしなければ!
上司があんなに怒りっぽくなければ!
と考えがちですがこれは「パンケーキがあんなにおいしそうでなければ!」というようなもので、その考え方では、うまく行きそうにないでしょう。